Java

インターネットの世界へ

1994年6月から7月にかけて、ジョン・ゲージと、ジェームズ・ゴスリンビル・ジョイ、パトリック・ノートン、ウェイン・ロジン、エリック・シュミットの間で、3日間かけてブレインストーミングを行い、プロジェクトチームはウェブの世界に主眼を置くという方針変更を行う。彼らは、革新的なウェブブラウザである NCSA Mosaic の出現を目の当たりにし、ウェブを含むインターネットの世界は、ケーブルテレビの世界に劣らず、高度にインタラクティブな媒体に発展しつつあると認識するようになった。Oak を使ったプロトタイプとして、ノートンはWebRunnerという小さなウェブブラウザを開発。このウェブブラウザの名称は後に HotJava と変更される。ウェブページJavaアプレットという小さなJavaプログラムを埋め込んでおいて、ウェブブラウザHotJavaでそのページにアクセスすると、HotJava上でアニメーションの表示やマウスによるインタラクティブな操作ができた。同年、チームはOakの名称をJavaに変更する。変更の理由は、商標を調べて、"Oak" という名前がすでにビデオカードアダプタの製造会社 (Oak Technology) によって使われていたことが判明したからである。Javaという名称は、一部のチームメンバーがよく出入りしていた近くのコーヒーショップで命名されたという。 この名称が、何かの頭字語であるかどうかについては、よくわかっていない。 1994年10月に、HotJavaとJavaプラットフォームが、サン・マイクロシステムズの幹部社員の前でデモンストレーションされた。そして1994年内に Java 1.0a(アルファ版)がダウンロードできるようになる。Java と HotJava が最初に公的な場で公表されたのは、1995年5月23日のSunWorldカンファレンスだった。サンは、Javaで記述されたウェブブラウザHotJavaを使って、JavaとJavaアプレットの技術により、ウェブページ内でアニメーションの表示やマウスによるインタラクティブな操作が可能であることをアピールした。カンファレンスでアナウンスを行ったのは、サンの技術部長ジョン・ゲージである。このカンファレンスではまた、ゲージのアナウンスに関連する、当時のネットスケープコミュニケーションズの上級副社長マーク・アンドリーセンによるアナウンスが人々を驚かせた。それは、ネットスケープが自社のウェブブラウザである Netscape Navigator に Java の実行機能を追加する予定だというものだった。このアナウンスにより情報技術の世界でJava技術は広く知られるようになった。1995年秋には Java 1.0 のベータ版が公開された。1996年1月9日にサンは、Java技術の開発を行うJavaSoft部門を立ち上げた1。その2週間後に、最初の正式バージョンである Java 1.0 がリリースされた。

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